図解PubMedの使い方 第5版

「図解PubMedの使い方 第5版」が出版されました。
PubMedを自分なりに使っているけど、あんまり詳しいことは知らない、もっと知りたいという方にお勧めです。

第3版までは読む側でしたが、図解という言葉通り図が多く使われて、自動用語マッピングやMeSHの仕組みなど、どうなっているのかなと疑問に思っていたことが細かく書かれていますし、何といっても日本語で書かれていますし、かゆい所に手が届くありがたい本だなと思っていました。
第4版から著者として参加させていただいていますが、それまでにゼロから作ってこられたものを精一杯引き継いでいるような状況です。

さて、第5版はオールカラーになって、図解ページが見やすくなりました。
章の組み立てには変更がありませんが増補部分もありますし、前版から2年の間にインターフェースがかなり変わりましたので、図は全て差し替えられています。

ぜひお買い求めの上、ご覧ください。


オンライン書店での取り扱いを調べてみて驚いたのですが、昨今のオンライン書店は、2,000円くらいの本を買うとなると、送料無料のところが多いものですね。
以下の書店は、どこで「図解PubMed」を買っても、送料無料です。

◇紀伊国屋書店 BookWeb

◇Amazon

◇オンライン書店 ビーケーワン 

◇楽天ブックス

◇TSUTAYA Online

◇HMV Online エルパカBooks 

町家ITトークイベント

昨日、町家ITトークイベントというのに参加してきました。

「人を巻き込むメディア活用とサービス開発 −ワクワクを生み出すその裏側とは?-」

ゲスト:株式会社ZIZO 代表取締役 川口智士氏
    http://zizo.ne.jp/company/
    株式会社インフォバーン 京都支社長 井登友一氏
    http://www.infobahn.co.jp/
    国立情報学研究所 准教授 大向一輝 氏
    http://www.nii.ac.jp/

http://www.facebook.com/events/345367632181962/

ゲストプレゼンターの大向さんのFacebook情報で知ったのですが、大向さんとも1回しかお会いしたことがないですし、カーリルの方々もこちらが一方的に知っているだけだし、後は知り合いはゼロなのですが、来るやいなやノートPCを出して広げる人が9割くらいで、最初はビビりました。

話題になるWebに関連するキーワードやものの見かたで、いつもと違うことがいっぱいあったので、時にはアウェーなところに行くのもいいと思いました。例えば公務員だからか、私はマネタイズの観点がいつも弱いのですが「それってどこでお金を取るの?」という疑問がフロアからしょっちゅう出つつ、「やりたいからやってる」「ただ、面白いからやってる」という話もたくさんあってわくわくでした。

こういうイベントはあちこちで行われているそうなのですが、図書館の狭い世界だとあんまり情報も入ってこないので、たまたま参加できて面白かったです。

当日の内容や雰囲気は、以下でご覧ください。

町家ITトークイベント 2012/03/23
togetter.com/li/278013

追記:
主催されていた京都リサーチパーク町家スタジオのブログ(町家日記)でも
報告記事が掲載されていました。
http://blg.krp-machiya.co.jp/article/260443182.html

EBMワークショップが無事終了

3月17日(土)に京都府立医科大学で開催したEBMワークショップが無事終わりました。参加者は28名。
当日のスケジュールは次のような感じでした。

9:30 〜     スタッフミーティング
10:30 〜 受付
11:00〜11:30 イントロダクション『ようこそ!EBMワークショップへ!EBM概論』
11:30〜12:00  はじめてワークシートの説明
12:00〜13:00 ランチタイムセッション 
13:00〜13:30 SGL:スモール・グループ・ラーニング
13:30〜14:00 フィードバックと全体セッション
14:00〜14:30 SGL:スモール・グループ・ラーニング
14:30〜15:00 フィードバックと全体セッション
15:00〜15:30 SGL:スモール・グループ・ラーニング
15:30〜16:00 フィードバックと全体セッション
16:00〜16:20 コーヒーブレイク
16:20〜17:20 解説
17:30      閉会
片づけ・スタッフミーティング
18:15 〜     懇親会

講義や説明、まとめや解説はすべて、今回全面的にご協力いただいたEBMに詳しいお二人の臨床医が頼りです。
午前中のセッションは講義形式ですが、初めから、28人は5グループに分かれて座りました。ランチタイムセッションになると、お昼を食べながら話がはずんできました。参加者は、図書館員が半分。残りの半分の人達は、医師・看護師・薬剤師・大学教員・学生といういろいろな身分の人達です。こういうメンバーで顔を合わせて話しているということ自体がすっごく貴重な時間です。

午前中はEvidence Based Medicineに関する講義。カジュアルでリラックスした雰囲気の中で、EBMについて勉強しました。その後、ランダム化比較試験を吟味するためのワークシートについての説明。CASPという団体で作成されたものです。
http://caspjp.umin.ac.jp/materials/caspsheets/index.html
ランチタイムセッションでは、情報提供と医学図書館の臨床現場へのサービスに関するミニレクチャー。

午後はいよいよ、今回教材としてとりあげた論文を吟味していきます。
A randomized effectiveness trial of a clinical informatics consult service:impact on evidence-based decision-making and knowledge implementation.
Mulvaney SA, Bickman L, Giuse NB, Lambert EW, Sathe NA, Jerome RN.
Journal of the American Medical Informatics Association : JAMIA. 2008 Mar-Apr;15(2):203-11.

論文は、米国テネシー州にある、ヴァンダービルト大学での取り組みについてのランダム化比較試験の報告です。このCICS(臨床情報コンサルトサービス)というサービスは、訓練を受けたライブラリアンが、病院等の臨床現場で情報提供をするのですが、サービスを提供した場合と、しない場合を比較して、効果があったかどうかを検証しています。3回に分けたセッションで、論文をグループごとに読み進め、フィードバックの時間に各グループが発表をします。英語が苦手な人もいるし、論文を読んできていない人もいるのですが、みんなが楽しくディスカッションを進められるようにチューターが各グループに配置されて、議論を進めてくれます。最後のセッションまでに、日本で同じようなサービスが可能かどうか、どうしたら可能になるか?というような話までできました。

今まで医師・薬剤師の方々で開いておられるワークショップに何度か参加するたびに、何でこんなに面白いものに図書館員が参加しないの?と思ったところから始まったワークショップが実現して、夢のようでした。ライブラリアンの人達も面白いと思ってくれたならいいんだけど・・・と思っていたら、ブログに書いてくれた人がいました。
http://naramedulib.seesaa.net/article/258649423.html
http://yaplog.jp/himechiz/archive/3062
http://ameblo.jp/librari/entry-11196246415.html

EBMってもう昔の話じゃないの?と思ったこともあったのですが、臨床医がアタマの中ではPECOを無意識にでも手順として踏んでいるということを今回教えていただき、EBMが一時的な流行とは違う概念であるとわかりました。

今回のひそかな、そして真のエンドポイントである「医療の質の向上」につながったかどうか、すぐにわかるわけではないし、目で見てわかるわけではないかもしれないですが、参加した人たちには何かポジティブなものを感じ取って持ち帰ってもらえたということは確信しています。

ワークショップって何?と思う人も、英語論文だからと腰が引けている人も、一回ぜひ参加してみてほしいです。グループセッションという形が、いい学びの形なんだなと思えるかもしれないから。

年に2回くらいは開催できるんじゃない?と言ってた人もいましたが、今回ワークショップに参加したライブラリアンの中で、また参加したいと思っている人が多ければ、必ず次ができると思います。

ご参加のみなさん、どうもありがとうございました。楽しかったですね!またお会いしましょう。

EBMワークショップを開催します

図書館員と医学・看護学・薬学の学生、医療従事者をつなぐEBMワークショップというのをすることにしました。

https://www.facebook.com/librarians.ebm.workshop/

EBMワークショップというのは、Evidence Based Medicineを実践するためのワークショップとして臨床医や薬剤師の方々が近年盛んに開催しているのですが、EBMの基礎を学ぶ講義や、臨床医学論文をグループに分かれて読んで発表し合ったりする実践的な勉強会です。

参考:
EBM&Epidemiology Wiki

CASP Japan

The SPELL

日本の図書館員で、医学図書館にいる人で、医学を勉強していた人というのはめったにいません。大体文学部とか法学部とかを出ている文系の人で、医学とか生物学とかは高校までの知識がせいぜいという人が多いのです。そんな私たちが、資料を提供しているわけです。

図書館員は提供する資料の属する分野に精通していなければいけないわけではなく、まずは資料の探し方、どこに何があるか調べる方法というのをわかっていることが重要なのですが、一体ユーザが普段どのような情報探索行動をしているのかということを知るのも、ニーズに合ったサービスをするためにはとても大切なことです。

そこで、臨床医や薬剤師の人達が学んでいる勉強会に行けば、ユーザが何を求めているのか、普段はどうやって情報を探しているのかがわかります。

といっても、私は何度かこういったワークショップに参加しましたが、いつも頭がひっくり返りそうになります。そこにいる人たちの間では当り前の知識である病気の治療法、そこで使われる薬の知識。予習もせずに参加した場合は、わからないまま黙って聞いていたり、隣の人にこっそり聞いたり、思い余って質問したりします。普段、現場で医療を実践しているわけではないので、実感を持って勉強できるとも言いにくいです。そして、いつも10年以上もこの図書館にいながら、医学の勉強を自分で行ってこなかったことを後悔します。「医者は6年で勉強するんだけどね、図書館員はもっとたくさん時間をかけて勉強すればいいんだよ!」とおっしゃっていたT先生の言葉を思い出します。先生ごめんなさい。教えを守っていません。これからでも間に合えば・・・。

私は例えば図書館員が1人もいない勉強会などアウェーの世界に飛び込んでいくのは楽しいのですが、図書館員仲間でそういう無茶なことをする人はあまりいません。日頃から勉強しておられてこういうワークショップに参加している方々はいますが、そういう人もたくさんはいません。

でも、難しくて辛い時もありながらも、こんなに役に立って楽しいことに自分だけ参加するのはもったいないし、もうちょっと臨床医学ばっかりではない内容のものがあったら参加しやすいのではと思ったので、図書館員が参加しやすいEBMワークショップをすればいい、と考えました。

忙しい中、熱い思いを持った臨床医のお二人がこの企画に賛同して協力してくださることになったおかげで、ワークショップは実現に向けて走り出すことができました。参加申し込みも続々とあります。

もともと私はこのワークショップを通して、図書館員がEBMを実践するということを理解し、医療従事者・学生と理解し合い、図書館員のレベルの底上げをする!というような目的意識を持っていたのですが、企画する中で二人の先生から素晴らしいことを教えていただきました。

それは、このワークショップの本当のゴールというのは、患者がうける医療の質の向上である、ということです。医療を取り巻く人々が理解し合い、勉強して医療の質を上げれば、最後には患者さんにその質の高さを提供できる。素敵な目標です。

まだ当日までいろいろとやることがあるのですが、楽しく勉強できる1日になるように準備したいと思います。まだ募集してますので、興味をお持ちの方は、よかったらどうぞお申込みください。

朝のサンドイッチ

事情により、ブログをこちらに移しました。まだ整備中ですが、これからはこちらで、よろしくお願いします。

ところで、先日、朝6:17京都発の新幹線に乗ろうと思って駅までいったのだけど、朝食をどこかで取れるかなとか、お土産をどこかで買えるかなとか思っていたけど、とりあえず構内に入ったらどこも開いてない。お土産屋さんも、ちょっとした飲み物や食べ物を買えるお店も。

がっくりしてホームまで上って行ったら、1店だけ、サンドイッチ屋さんが開けていた。

たくさん開いていたら、選ばなかったであろうお店ではあるんだけど、この時ばかりは、早起きしておなかの減っていた私には救世主のように思えた。

こうやって他の人がやっていない時間帯にサービスをすることで、いろいろ難しいこともあるのだろうけど、サンドイッチはずっとよく売れていただろうし、お客さんへの印象付けができる。
素敵な仕事ぶりだった。

他にはない特別な部分を打ち出してサービスを強化する。こういうこと、図書館でもできないかな。

例えば、最近では、いろんなデータベースにはアラート機能がついているのが当たり前。キーワードを登録しておくと、定期的に検索して文献データをメールで送ってくれる。
これに目を付けた某大学図書館では、アラートサービスの設定代行というのをしているそうだ。
これって気付かないけど素敵なサービス。

ボランティア

この間読んだ本に、お釈迦さまにお寺を寄進した王様が、「私にどんな素晴らしいことが起こるか」と聞いた時、「何も」とお釈迦さまが答えたという話が載っていた。
見返りを求めて寄進を行うことへの疑問を表している。

ボランティアも、そうだと思う。
自分が「いいことしてる」って思ってるときは、あんまり人に言わない方がいいと最近さらに強く思うようになった。周りに話すと、「それはすごいね」と言われて、すごいことなんて、と思ったこともあれば「そういうとこに実際行っちゃう人がいるもんだね」と言われて、その他人事ぶりに悲しくなったこともある。しかし、人に言ったということはある種、人に認められたいというか、見返りを求める行為なのではないかと思って。だったら誰にも言わず、自分の信じたことをやればいい。


避難所勤務をしていた時、連絡員担当のお兄さんが何人かいた。彼らもまた、志願して被災地へ来た職員さんだ。彼らは避難所には入らず、県の合同庁舎に詰めて私たちの仕事がきちんと進んでいるかを時々見に来ては体調を気づかってくれたりお風呂に連れていってくれたりした。

ある時、避難所の統合が決まって、ある体育館に派遣されている人たちが急にひまになりそうになったが、その状況を本部に伝えて、次に派遣される人たちをどこに何人配置すべきかという調整をされていた。

被災地の状況は日々変わる。避難者の方たちの自主的な活動も盛んになってきたため、ボランタリーな気持ちで志願してやってきた私たちも、仕事がない状況に陥ることはありうる。

これは初めから肝に銘じていたわけだけど、別に私たちは自己満足のためとか、自分を成長させるためとか、そういう目的で被災地に入っているわけではない。やるべきことを粛々とやって帰るのみだ。やることがなければやらないだけのことだ。

とは思うのだけど、連絡員の方々は、せっかく志願した人たちに仕事がないのではね、と言いながら、一生懸命仕事のバランス調整をされていた。もしかすると、彼らの中にも被災地に入って避難所にも行かず避難者や被災者の人たちとも触れ合うことなく、本部との連絡ばかり
していて「こんなつもりで志願したんじゃなかった」と思った人もいたかもしれなかった。


その後、個人的にボランティアに行ったら、派遣されていた私たちのボランタリーな思いも、ボランティアで来ている人達からみたら、甘く見えるんだなと思わされることがあった。

隣県や市の職員さんが交代にボランティアセンターを運営しているのを見て「大変ですね」と言ったら、隣にいた、毎週週末に埼玉から南相馬に来ているというボランティアさんが「あの人たちは手当をもらって来てるんですしね」と言った。手当てをもらっている職員とは、1か月前の私だ。確かに、業務の一環として手当をいただき、交通費も出してもらって、体調も気遣ってもらって、職場から送り出されて被災地に入ったわけだ。

ボランティアは、自分で体調を管理し、交通費をお給料から捻出し、時間も捻出して来ている人が多い。人それぞれ事情は違うし、いろいろ気をつけるべき点はあるけど、やっぱり尊い行為だなと思う。

それとともに、公務員が被災地に派遣されるのも、職場の同意や仕事の段取りをつけて、放射能や余震も覚悟して来ているわけで、それなりに大変。それはその立場になってみないとわからないこともある。

福島県の避難所に行ってきました

5月はじめ、福島県会津若松市の避難所に1週間勤務した。

3月11日に東日本で地震があり、被害のひどさをテレビや新聞で知った。
東京方面の友人たちは帰宅難民になったり、職場が被災したりといろいろな被害を受けていた。私は、飲み会や遊びの予定がなくなったり、あるいは関西は元気に過ごさないと!と言ってあえて実施してみたりした。

でも、一番被害のひどかった東北地方には、私の家族や、親戚や、親友なんかはいなかった。そもそも1回くらいしか訪れたことがなくて、なじみがなかった。1か月たって、テレビ番組も元に戻り、関西で節電しても意味がないと報道され、毎日の生活は何の不足もなく、日に日に地震のことは他の国で起こったことのように遠くのできごとになっていった。いや、もともとそうだった。

震災後すぐに、医療関連の、また図書館関連の災害対策ボランティアチームなんかが、何か役に立てることはないかと動き出していた。私も、Web上で出版社やベンダーから無料で公開されている情報をまとめたりしたが、全然実感がわかない。何をやってるのかわかってない。

年度が改まって仕事が忙しくなる中、何かしなきゃ、という気持ちも薄れていったが、どこかで、あの地震の後のことがこんなに人ごとなのはおかしいと思っていた。

当初は体力がないので足手まといになるだけだからと行くつもりのなかった災害派遣業務に応募したのはその頃だ。職場から、毎週福島県に送り出している派遣業務。

先に派遣された人が「自分がいなくなって路頭に迷う妻子もいないから」と言っていた。考えてみると、私には夫も子もいないので、誰よりもこの業務には適していると気付いて、私にもできるかもしれないと思った。

福島から戻ってきて考えると、業務はがれき撤去でもなく体力がさほど必要なわけでもないし、放射線レベルは低い場所だし、そんなに応募をためらうこともなかったのかもしれないと思うけれど、被災地に入るというだけで、繰り返し放映されたテレビの映像が思い出されて、それなりの覚悟を決めないといけないような気持ちだった。


そうしてのりこんだ福島県会津若松市の避難所。前任者から引き継ぎを受ける時、受付や物資置き場の説明を受けた後で体育館の中に入るときに「この先は、避難者の方々が生活されている場所です」と一呼吸あってから中へ入った。そこには避難してきた人たちの生活空間があった。初めはそちらを見ることすらはばかられる気がしたけれど、私たちは避難所の運営をするために派遣されているので、すぐに必要に迫られて、食事を配膳したり、窓を開けたり、お布団を運んだり、寝ている人に食事が必要か聞きにいったりして体育館の中を縦横に歩き回ることになった。

避難所は、会津若松市福島県京都府の職員とボランティアさんが連携して運営されていた。行政の人たちは次々引き継ぎをしながら交代していくが、ボランティアさんは毎日のように来られている方が数人いらっしゃって、心強かった。
ボランティアさんは、避難所の受付をする。新しく来られた方の荷物を運び、足りないものを聞き、必要なものをそろえる。出て行かれる方の引っ越しの手伝いをして、送り出す。炊き出しをする。ごみを出す。さまざまな相談に乗る。世間話をする。子供の世話をする。などなど、避難者の方々と信頼関係を築き、あらゆるお世話をされていた。

思い立ってすぐに参加できる短期のボランティアがお役にたてる場所もたくさんあるけれど、毎日仕事のように朝から夕方まで、地味な仕事を淡々とやっていくボランティアさん、こんな人たちが世の中にいるんだということを目の当たりにして、心の中で手を合わせるような気持ちがした。

普段は、自分の寝ているところやくつろいでいるところなんて、誰にでも見せるものじゃないけど、ここでは見知らぬ人が50センチほど隔てたお隣さんで、丸見えだったりする。お布団の上でご飯を食べるなんて本当はしたくないだろうけど、そこしか食べるところがないし、毎日誰かが決めたメニューで食事をするのも、体育館のシャワーとトイレを共有するのも、何ヶ月も続くのはどうかと思う。

そして、若い男性をちらほら見かけるのに仕事に出かける人がいないのを当初は不思議に思っていたのだけど、内陸部の会津若松市から避難者の多くが住んでいらした海沿いの南相馬市浪江町双葉町大熊町などの街までは130キロも離れている。仕事が今もあるのなら、こんなに離れた場所まで避難してくるわけがない。仕事をしていたけど、地震津波放射能、いろんな理由で辞めざるをえなくなって、ここにいるのだろう。

仕事があって、1週間だけ来て食事の配ぜんやごみ出しをしている自分が、避難してきた人たちからどんな風に見えるんだろうと気になった。しかし、来てしまったのだからできることをするしかない。食事、物資の仕分け、物資マップ作り、受付などをしているうちに、だんだんと住んでいる人たち一人ひとりの顔が見えてきた。

物資はたくさん届いていた。食べ物、飲み物、おむつやマスクなどの保健用品、下着、割り箸や紙コップなど使い捨ての食器。
でも、今後のことを考えると全然足りない。水のペットボトルなどは置いておくとどんどんなくなって、なくなる日が1週間後くらいに見えていた。気温が上がってきたので、布団や毛布は今までのものより薄いものが必要になってきたが、そういうものはない。衣替えも必要だし、毎日替えたいであろう下着もあまりなかった。洗濯機も共有だ。
それと同時に、廃棄するものも多かった。汚れたりシミがあって使えない布団や毛布。賞味期限のきた食糧物資。日々配ぜんするご飯も、毎日捨てなければならないのは一番つらかった。私たちは非常食を持っていったが、食べるものはあふれていて、持参したものを食べる必要はなかった。避難所から出ず運動をしていないのに、捨てるのをもったいながってご飯をおかわりして食べていたから私は体重が増えたくらいだ。

先が見えない。家がちゃんとある人もいるが、帰ることが許されない。一体いつまで避難していなければいけないのか。


5月5日こどもの日は、もちつき大会があった。前日から避難者の有志の方々はもち米を水につけて準備を始めた。当日は朝からすばらしくいい天気で、野外のテントの下で、炊き上げたお米を杵と臼で次々とついて行った。子供たちが「よいしょ、よいしょ」と言う掛け声が最初は小さかったのに、最後にはものすごく大きい声になっていた。

私はまだあまり周りの人たちの顔も覚えられず、盛り上がりに乗り遅れて、体育館の中で雑用をしていた。お昼前には、いろんな種類のお餅ができてきた。「皆さんに外で食べていただきましょうね」とボランティアさんが言っていたのでパイプ椅子を出していたら、納豆餅、雑煮餅、きなこ餅、あんころ餅などがどんどん作られていて、食べて食べて!と勧めてくださった。いつもは体育館の布団の上でご飯を食べている人たちも、青空の下でお餅を食べた。お餅はそこにいる人は誰でも、何杯でも食べてよかった。私も、食べたことのない雑煮餅や納豆餅をいただいた。納豆とお餅が合うなんて知らなかった。本当においしくて、少なくとも6個くらい食べたような気がする。

お餅が片づけられて気がつくと、体育館の入り口でおじさんたちが何人かまだ残って、日向ぼっこをしながら話していた。いつも体育館の奥にいて話したことのない人たちだった。手招きされて一緒に座って話をしたら、浜通りの素敵な町の話をしてくれた。どんなに気候が良くて、海がきれいな場所か。海から少し離れた場所に住む人も、自分の住む町は緑が豊かで心地よい場所なんだと話してくれた。

正直なところ、津波が来た場所や原発の近くの街に戻りたいとかそこがいい所だとか思うことは、それまで理解できなかった。でも、本当に地元を愛していい場所なんだと自慢する人たちの話を聞いたら伝わってくるもので、元々住んでいた人も帰れないその地に、とても行ってみたくなった。

人間関係って1週間で築けるようなものではないけど、毎日寝泊まりしているとだんだん顔見知りになってくる。故郷の話、残してきたペットの話、家族の話をしてくださる方もいる。皆さんが何度も何度も「遠くから来てくれて、ありがとう」と言ってくださる。そんな、崇高な気持ちで来たわけではないので、申し訳ない気持ちになってしまう。業務として当然のことです。お互いさまです。

ひとつ思い出すのは、禅の修行をしていたという避難者の方が「人間本来無一物というでしょう。周りの人には言いませんが、私は避難所にいても幸せです。」と言っていたこと。避難所に来るまでの環境は千差万別。同じ環境でも、人によって感じ方はいろいろなんだなと。

会津若松市福島県の職員さんともお話しできた。門限を過ぎても帰ってこない男の子を待ちながら、浜通りだけでなく会津若松、また福島県全体の名所やお祭り、おいしい食べ物の話なんかを聞かせていただいた。福島県の人たちの東北特有のイントネーションが、関西ではたまにしか聞かないので他人行儀な感じがしていたのが、ここではみんなが東北弁で、「〜だっぺ」と毎日聞いているうちに耳に慣れて、暖かさを感じるようになってきた。特に長く話している時の抑揚や濁った言葉に、はにかんだような魅力を感じ、関西弁や標準語が、平たい言葉に思えてきたくらいだ。いいなと思っているうちに、だんだんと話し方が似てきたように思う。誰にも言われたことはなかったけど。関西人がエセ関西弁を嫌うのと同じで、中途半端な東北弁をしゃべったら、バカにしてると思われるんじゃないだろうか。東北人はそんなこと考えないのかな。


ところで、私は他の二人の職員さんと物資置き場の片隅に寝かせてもらった。男性との間にだけは立てた卓球台で仕切りをしてもらって、暗い時は若干プライベートなスペースに思えなくもなかった。布団に入ればすぐに眠ったし、起きたらすぐに仕事が始まるので、どっちにしろそのプライベートな場所にはほとんどいた記憶がない。数日経ったら睡眠不足でフラフラになった。

5日目には仕事にも人にも慣れて福島の人たちをしみじみと好きになってきたが、一方で1日中仕事でくつろぐ時間はなく睡眠不足が続いていたこともあり、そろそろ帰りたいなと思い始めていた。帰るところがあることに申し訳なさを感じながら。
毎日食器を共有してそれを体育館の洗面所で洗い(乾かす場所はない)、みんなで食器用スポンジを共有するのも、私は一時のことだから構わないと思うものの、少しストレスだった。体育館の洗面台にはざるが置かれていて、そこに食器に残ったご飯などを捨てていた。私はスポンジを調達してもらって洗面台と調理場のものを替えたけど、それも必要ないと思った人がいるかもしれないし、私の気付かないところでもちょっとしたいろんなストレスを感じている人がいるだろう。大したことではなけれど、生活が長引くと厳しい。
これから暑くなったら、今のままではいけないことがいっぱいある。


最後の日は、朝9時には出発しないといけなかった。
朝7時半頃に朝食の配ぜんが始まり、食事を片付け、自分たちが食事をとり、荷物をまとめて、引き継ぎをして、挨拶をして避難所を出た。避難者の人たちにさよならを言う時間はなかった。でも、時間があったとしても何と言っていいかわからなかったと思う。みなさんどうしていらっしゃるだろうか。もう一度お会いしたい。いや、お会いしたいけどもそれよりも、それぞれの方の状況が良くなっていてほしい。


何をできたというわけでもなく、私ばかり勉強させてもらった1週間だった
実際にどんな風に避難した人たちが生活しているのかを見て聞いて、被災地の人の気持ちを少し近くで感じて、以前よりずっと福島のことが好きになって、福島の人たちと知り合って身近に感じるようになった。


帰って思ったのは、大したことをしていないのに、行かなかった人に比べて、行った私は何かを満足させた気がしたこと。

地震の後、何にもできない自分に無力感を感じて、辛くなった。多分多くの人が、今もそう思ってる。でも、私は今回の業務に行ったことで、自分だけがその辛さを少し緩和させたのではないかと思って、そんな自分に、「違う」「そんなことで満足するな」と言いたかった。


被災地の復興は、まだこれから。まだ始まりにすぎないので、できることをやっていく。ボランティアにも行くし、遊びにも、飲みにも、おいしいもの食べにも行くから。図書館員としても活動する余地があれば、ぜひとも。